夏時間 1




 厩舎の出産ラッシュも一段落つき、夜明けが早まって仕事が前倒しになるこの季節、草むしりを素早くすませてしまいさえすれば少し息をつく時間ができる。
 牧柵に腰掛けてぼんやり馬用の放牧地を眺めていたら、相棒のカッツェを放牧させに来たらしいルドルフが、俺に気づいて近づいてきた。
「あれ? ナカニシくん、久しぶり。ハイスクールは? 今学期はまだ終わってないよね?」
「……試験休み。」
「ふーん。休暇のたびによく来るねぇ。実家の手伝いの他にすることないの?」
 ルドルフは金髪ロンゲのキザな子どもで、早朝だけここに働きにきている10人の子どもたちのリーダーをしている。牧場のスタッフがいるときはすました顔で優等生しているが、他に誰もいなくて俺ひとりのときは寄ってきてかなり失礼な発言をする。はっきりいって、ナメられている。ムカつくガキではあるが、俺以外誰もいないときだけいつものすまし顔を崩してニコ〜っと笑うので、まぁ、なんというか……悪い気はしない。
 ルドルフはカッツェの頭絡から引き綱を外して放牧地に放したが、カッツェはまだかまってほしいらしく、牧柵ごしにルドルフの肩に顔を乗せていた。俺は、離れがたい様子でカッツェの首を抱きしめているルドルフに答えるともなくつぶやいた。 「落ち着くんだ……ここで馬眺めたり馬房掃除したりしてると。」
「じじむさいなぁ、ティーンエイジャーの健康な男子が。カノジョつくんなよ。」
 しかし、この日の俺は、小生意気なガキの小生意気な発言を笑って受け入れる心の余裕をなくしていた。
 返事をせずに牧柵から飛び降りて歩き始めたら、珍しくルドルフが追ってきた。なにごとか感じたのだろう。
「ナカニシくん、帽子忘れてるよ、麦わら帽子。これから日が高くなるってのに。」
振り返って帽子を受け取ると、ルドルフの深い瑠璃色の瞳がまっすぐ見上げてきた。
「なんかあったの、ナカニシくん? 失恋? 俺、核心ついちゃった?」
冗談めかして訊いてきたが、本気で心配してる風情だった。俺はよほど深刻な顔をしていたらしい。
「いや……。」俺は溜息をついた。はぐらかす気にはならなかった。「進路……。」
「ああ。」ルドルフは、眉間に縦じわを寄せて腕組みした。「医者志望だっけ、ナカニシくん。でも、学力足りてるって聞いたけど?」
「……どっから仕入れたんだよ、そんな情報……。」
「そりゃ、君がこのくらいのころから知ってるからね。」ルドルフは、自分の膝の前あたりで掌をひらひらさせた。「俺でよければ聞いてやるから、話すだけ話してみなよ。何悩んでんの?」
「逆だろ、立場が。」
俺は思わず吹き出し、ルドルフの陶器のような白い額を、人差し指でぴしっとはじいた。
 この牧場では、子どもたちへの気安い接触は危険とされ、厳重に禁止されている。だが、今のところ俺は、禁忌を破ったスタッフの末路としてよく引き合いに出される半ば伝説化した話のように「頭皮と毛髪の一部を残して行方不明に」なったりしない自信はある。ルドルフが見かけによらずキレると手をつけられない面を持っていることは俺も知っているが、こんなことくらいで怒り出したりするほど器の小さい子どもではない。現に、自分の冗談が俺を和ませたことを察知して、若干得意げな表情だ。
 「道がさ……」俺はなるべくあいまいな表現を選んだ。「二つあると思ってくれよ。きれいに舗装されてて目的地まで親が車で送ってくれる道と、狭くて荒れててぬかるんで倒木なんか越えながら歩いていかなきゃなんない道と。」
「楽な方だと目的地に着けないの?」
「目的地でやることは同じだよ……。」
「それなら楽な方から行けばいいじゃん。なに悩んでるのかわかんない。……家業継げよ。落ち着くんだろ?」
「……きれいに舗装された道の下には、五メートルおきに人柱が埋まってる……。」
 ルドルフは黙った。
 そのまま厩舎のところまで並んで歩いていって、別れ際にルドルフがうつむいたままつぶやいた。
「ナカニシくんなら、迷わず荒れた道を選ぶと思ったけどな……。」
「……熊が出るんだ。グリズリーのでかいのがうようよ。」
「……それじゃ仕方ないね。」
ルドルフは、うつむいたまま仲間達の方へ駆けて行った。

――続く――



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