Ten Little Kids 35



 その朝カッツェは、いつになくアドルフにまとわりついてきた。
 カッツェは、めったに人に甘えない馬だった。馬房の入り口で手綱を振ってみせると寄ってきて、自分から頭絡に頭を入れるような、手のかからない馬だった。アドルフに手入れしてもらっている間も、すまして立っている。愛想のない馬とも言えた。
 同じ素直な馬でも、ヤスコのタイハクは甘えん坊だ。引かれて歩いている間は、ずっとヤスコにすり寄っている。彼は、馬房の窓枠や放牧地の柵を噛むのが大好きだ。洗い場で手入れされている間は、窓枠も柵もないのが口寂しいのか、ヤスコの背中や腕をずっと鼻面で探っている。彼は、「ニンゲンを噛んではイケナイ」ということがよくわかっているので、ヤスコを噛んだりはしないが、一度だけ失敗したことがあった。そのときヤスコは、筋力強化のためにリストバンドをしていた。少し堅いその部分を、ニンゲンデナイモノとかんちがいしたタイハクは、喜んで噛んでしまったのだ。お利口でめったに怒られたことのない彼の落ち込み方はひととおりでなく、怒り狂っていたはずのヤスコは、三秒後には彼を許していた。以後ヤスコも、タイハクの前ではリストバンドをはずすように、気をつけている。
 ナッティは、主のルナをからかって遊ぶ困った馬だった。ハンニバルの美しい尾花栗毛ネフェルネフェルは、蹴り癖あり噛み癖ありの気難しい馬だったが、ハンニバルだけにはてのひらを返したように従順で、あまりの露骨さが笑いを誘った。アテナの馬は、子供たちの着ているパーカのファスナーを口で器用に引き下ろして喜ぶので、ペガサスという立派な本名は忘れ去られ、もっぱらスケベエというあだ名で呼ばれていた。仲間たちが自分の馬に遊んでもらったり、自分の馬に遊ばれたりしているのを見るとき、アドルフは、優等生のカッツェに一抹の寂しさを感じることもあった。
 だが、カッツェは、単なる照れ屋だった。アドルフが何かの都合で厩舎に来られないと、カッツェは一日中不機嫌になり、厩舎のスタッフを威嚇したり、放牧地から戻ろうとしなかったりするという。アドルフは、ナカニシから、「君が来ない日が、一番厄介だよ。」という言葉と、苦笑とともに、そんな話を聞かされていた。
 その日以前に一度だけ、カッツェが甘えるそぶりを見せたのは、怪我をしたアドルフが四日ほど農場に行けなかったときだった。五日ぶりに表れたアドルフの手を、カッツェは、いつまでも静かになめていた。アドルフも、黙って静かになめさせていた。手は、青草を食った直後の馬の、心なしか緑色がかったヨダレまみれになった。それが、アドルフに対するカッツェの、過去最高の愛情表現だった。


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