Ten Little Kids 66



 その翌朝、子供たちは、ハンニバルの死を知らされた。

 ハンニバルはすでに顔以外白い布に包まれていた。養父のトールに抱きかかえられていたために、彼の体は、今まで見た地面に寝かされた遺体と違ってやや人らしい輪郭を描いていた。トールは、ハンニバルの頬に頬をつけてあぐらをかいたきり、じっと動かなかった。子供たちは虚ろな表情でトールとハンニバルを見下ろしていた。前日とその日と、たて続けの埋葬の儀式に、彼らは何か考える気力もなくして、ただ打ちのめされていた。
 腕組みして立っていたグロースヴァルダインが、ため息をついた。彼は、トールを顎で示してグルームたちの方へ視線を向けた。
「君たち、あれをなんとかしてくれないか?」
返事はなかった。グルームたちは皆、トールからもグロースヴァルダインからも視線をそらして立ち尽くしている。グロースヴァルダインは再び嘆息して、背後からトールに歩み寄った。
「いつまで、そうしているつもりだ。いいかげんにしろ。」
トールは答えない。グロースヴァルダインは、すこし待ってから言葉を継いだ。
「一緒に埋められたいか。」
 トールはハンニバルの頬から顔を離し、背筋をのばした。かすかに、しかしはっきりと、彼はうなずいた。
 数秒の間、グロースヴァルダインは、表情をうかべずににその背中を見つめていた。そして、腕組みしたまま、無造作にトールの後ろ首を蹴った。トールの上体は、ハンニバルの遺体の上に覆いかぶさるように崩れた。
 「ルドルフ、子供たちの前ですよ。」
ボーダハ夫人が、静かにたしなめた。グロースヴァルダインは、一瞬ボーダハ夫妻の方を振り返った。再びトールの方を向いてうつむき、片手を額に当てた。彼は、目を伏せて一呼吸おくと、ボーダハ夫人に背を向けたまま詫びた。
「申し訳ありません。」
夫人はうなずいた。
 グルームたちの中から、カランダールとリヒャルトが出てきてトールとハンニバルを離した。カランダールは、トールの呼吸があるのを確認すると、自分のジャケットを脱いで地面に敷き、彼を横たえた。マリアが、グロースヴァルダインに鋭い視線を向け、低くつぶやいた。
「コマンダークラスが安っぽくキレてるんじゃないわよ。」
グロースヴァルダインは、腕を組み直してうつむいたままトールから離れた。ボーダハが、ふっと笑った。
「手厳しいな、マリア。ルドルフも過労気味だ。割り引いてやれ。」
「いえ。」グロースヴァルダインが沈んだ声で言った。「彼女の言うとおりです。私の自制心が足りませんでした。」
 この間、ユリシュカが『ヤバい目付き』になっていることに、アドルフは気付いていた。彼女の視線の先には、グロースヴァルダインがいた。次の動作を予測していたアドルフは、ユリシュカが突進すると同時に、彼女の背中に組み付くことができた。ユリシュカを羽交い締めにしたまま、アドルフは何歩か引きずられた。ヤスコが正面からユリシュカを抱き留めて、二人がかりでなんとか彼女の暴走を止めた。ユリシュカは、二人を振りほどこうと、無言でもがいた。ヤスコは、ユリシュカをなだめようと必死で言葉をかけたが、内容は支離滅裂だった。アドルフは、ユリシュカに締め技をかけてオトそうか、という考えを、どうにか思いとどまった。当のグロースヴァルダインは、そんな三人を気怠そうに眺めていた。
 アドルフとヤスコは、駆け寄ってきた養母のジュジにユリシュカを預けようとした。だが、ユリシュカはジュジの手を振り払った。再びグロースヴァルダインに向かって行こうとするユリシュカを、アドルフとヤスコが押さえ付けた。ユリシュカが叫んだ。
「返してよ!ハンニバルを返して!」
 茫然と目をみひらいていたルナが、急に体を震わせ、口元を押さえながら他の子供たちから離れた。数歩行ったところで膝をつき、吐いた。わずかな胃液が出つくしても、ルナの吐き気は一向におさまらないようだった。彼は、片手を地面につき、片手で胸を押さえて苦しげにあえぎ続けた。痙攣するように震える彼の背中を、クリシュナが泣きそうな目で見つめていた。エレクトラが、ルナの肩に手をかけた。ルナは立ち上がってその手から逃れたが、二、三歩離れると、またすぐに膝をついた。
 「やめてよユリシュカ!あんたがケガでもしたら、ハンニバルが泣くよ!」
ヤスコの声がやっと耳に届いたようだった。ユリシュカは、脱力した。彼女をなんとか押さえ込んでいたヤスコとアドルフも、消耗しきって同じように崩れた。座り込んで荒い呼吸をしている三人に、ニケが歩み寄った。
「ハンニバルに、お別れを言おう。」
 ユリシュカは、ニケを見上げて口を開いた。だが、言葉は出なかった。ニケは微笑していた。
「ハンニバルはね、先にアテナたちのところに行ったの。大丈夫。すぐに会えるよ。」
アドルフとヤスコは、愕然としてニケを見つめた。ニケの心は、ユリシュカ以上に危険な状態になっていた。
 先に歩き出したニケに続いて、ユリシュカとアドルフ、ヤスコもハンニバルの遺体に歩み寄った。少し遅れて、ハンカチで口元を押さえたルナとクリシュナも彼らと並んだ。
 ユリシュカが膝をついて、ハンニバルの額にそっとくちづけた。
「喜ぶよ、彼。」
クリシュナが、つぶやいた。ユリシュカは、首を振った。
「なんで生きてるうちに、優しくしてあげられなかったんだろ…。」
 アドルフは、生きてたら有頂天だっただろう、と思いながら、かたく結ばれたまま動かないハンニバルの唇を見つめた。とがった犬歯のせいで噛み付きそうにも愛嬌たっぷりにも見える、彼の笑顔を思い出していた。


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