WHERE SIN SORE WOUNDING 1




 あ。とだけ呟いて、アドルフは口をつぐんだ。
「トゥシューズに画鋲が?」
彼の手にした運動靴をちらと見て、クリシュナが尋ねた。アドルフは、んー、とうなずいて、裸足のまま第三格技室の板ばりの床からリノリウムの廊下におりた。横からきれいな褐色の腕が伸びてきて、アドルフの胸にしっかり抱えられた白いランニングシューズをとりあげた。
 厚いゴム底から靴の内部に向かって、長い木ネジが根元まで差し込まれていた。
「ドライバーが無いと抜けないな……。」クリシュナは、アドルフの靴を目の高さに掲げて難しい顔をした。「今回は、手が込んでる。」
「……これだけ派手に突き抜けてたら、履く前に気付くよな、誰でも……。」
アドルフは、鼻先で笑った。クリシュナは、すこしためらってから言った。
「……連中にしてみりゃ、悪意が伝わればそれでいいんだよ。むしろ、お前が本当にそれを踏んでケガでもして……スタッフが動き出したら、連中にとってまずいことになる……。」
「ふーん……。踏んどきゃ良かったかな。」
ぼんやりと言うアドルフの横顔を、クリシュナは不安そうに見つめた。
「やめとけよ。」
「本気にするな。」
「……お前なら、やりかねない。」
 アドルフは、クリシュナには応じずに、うつむいて薄く笑った。
「……神経が無いとまで言われた俺に神経戦で挑むとは……戦略を間違えてるな。」
 クリシュナは、軽く眉を寄せてその端正な横顔を見つめ続けた。悪夢のような能力検査にパスしてこの訓練所に連れてこられて以来、日に日にアドルフの表情が険悪になっていくようで、悲しかった。
 軽いからかいなら、慣れているはずだった。
 村にいたころのアドルフは、なにをやらせても一番できる優等生のくせに妙に抜けたところがあって、仲間たちにつつかれることが多かった。クリシュナから見てなんでそんなにと思うくらい人が好くて、からかわれてむきになっているように見えても目元が穏やかで――アドルフがよくいじられたのは、仲間たちに愛されていたからだった。姿の見えない悪意に満ちた嫌がらせを受けたことは、なかったはずだ。能力検査前後のひどいストレスに比べれば些細なものかもしれなかった。だが、小さな精神的消耗の積み重ねは、アドルフを疲労させていた。
「連中も、焦ってるからな。」クリシュナは、できる限り明るい声を作った。「新参者にオデット姫の役をさらわれてさ。」
 アドルフは、ふっと和ませた瞳をクリシュナに向けた。
「ブキミなもん想像させるなよ。」
「比喩で言ってるんだから、具体的に想像するなよ。……あ、でも、似合いそう。」
 クリシュナがプリマドンナのポストにたとえたのは、この訓練所で履修している格闘技の等級のことだった。
通常、この訓練所に入れられた「純血種」の子供は、それ以前にどの程度の技を習得していようと、レベル1のクラスからスタートし、レベル6から8で修了する。一つ昇級するのに速い者でも半年はかかる。
 だが、アドルフは、例外的に最初からレベル2に編入された。そして、その日のうちにレベル5のクラスに移された。
昇級当初、アドルフは、毎日のようによれよれになって帰ってきた。自室にたどり着いてクリシュナの顔を見るなり座りこんで動けなくなったことも、一度や二度ではなかった。アドルフは、多くを語らなかった。だから、クリシュナも黙って介抱だけした。
 突然飛び級してきた十一歳の少年に、少なくとも四つ五つは年上の同級生たちが心穏やかでいられるわけもない。彼が集中攻撃の的となっているであろうことは、クリシュナには容易に想像できた。彼もまた、ここに来て数日でレベル1の課程を終え、現在はレベル4のクラスに最年少の十二歳で在籍する者だった。
 皮肉と言うべきか、普通より余計に鍛えられて、アドルフは三か月でレベル6に昇級した。
 今度のクラスには養親あがりの青年が一人いて、なにかとアドルフをかばってくれた。おかげで、訓練中に目立たないように反則行為に及んだり、指導者の目の離れた休憩時間に自主トレと称してふとアドルフを取り囲んだりする輩は、かなり減った。 その分は、匿名の悪意という形に転換されていたのだが。
 アドルフは、まつげを伏せて裸足の足元に視線を向けると、ふっと呟いた。
「目障りな新人なんだろうな。」
 クリシュナは、ガンガン勝ち上がるくせに競争の嫌いな友人の、光に透ける暗褐色の瞳をちらと見てため息をついた。それから、ネジの刺さった運動靴を床に放り出し、右手でアドルフの右手を、左手で左手をつかんだ。
「よけいなこと考えない。疲れるから。」
 突然自分の手を取って踊りだしたクリシュナに一瞬面食らったが、すぐにアドルフも合わせた。「四羽の白鳥の踊り」は以前に一度VTRで見ただけだったが、形だけ真似できる程度には覚えていた。
結構、楽しかった。




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