ギガトンにハマる・前編




 忘れ果てていたギガトンを再び意識しだしたのがいつだったのかは、はっきりしない。
 おそらく、ギガトンを愛した多くの人が、同じ道を歩んだのではないかと思う。
「おっ、この馬、またレースに出るのか。」
「あれ?また出てるよ。いったい月に何回出走してるんだ?」
「なんだ、先週芝のレースに出てたのに今日はダート戦か。」
「??こないだ長距離戦に出てたはずだけど、次は中距離?」
「それで今度はいったい誰が乗るんだ?」
「中1週、中1週、連闘、中1週……すげー……。」
 かくのごとく、毎週毎週出馬表に掲載される馬名というのは、自然にノーミソに刷り込まれていくものである。そして、その馬に対する愛着がわいてくるのも、わりと自然な現象と言えるのではないだろうか。


 そしてまた、ワタクシには、より深くギガトンにハマっていく事情というものがあったのである。
 当時のワタクシの職業は、臨時採用教員であった。毎年毎年採用試験を受けては、面白いくらい落ちていた。
 当然、毎年毎年職場は変わる。期間は、最長1年・最短3週間。学校が変わるごとに、係分担も変わる。あるときは図書担当、あるときは生徒会担当、またあるときは研修担当。温室のように穏やかな教室もあれば、時化の海かと思うようなスリリングな教室もある。わきあいあいのいつも楽しい職員室も多かったし、その場に居るだけで胃が痛くなるような職員室も珍しくなかった。
 任期が切れると、教育委員会からの電話を待つ。何年も臨採教師をやっていると、しまいにはこんな電話がかかってくる。
「内臓の病気で入院する先生のかわりなんですが、なかなかたいへんな学校でして。大学を卒業したばかりの方には無理ということで、学校側からのたっての希望で経験豊富な先生にお願いしたいんですが……」
なんじゃそりゃ、と思っても、ことわれば次の仕事が来る保障はないから必ず引き受けるのである。(※「たいへんな学校」に赴任することに不満があるわけではない。そういう使い方をするくせに一向に正式採用する気配がないことに腹を立てていたのである。)
 毎週のように、ギガトンは出走する。なまら丈夫だ。
 適距離も適鞍もなにかはせむ。今週はダートの短距離、来週は芝の長距離。鞍上は岡部・的場・角田・武・大塚・柴田…etc.etc.どなたなりとカムカム。(でも、的場さんが好き。)良馬場でも重馬場でも不良馬場でも、ギガトンは走る。
 そんなふうに外部的な条件は変わっても、彼の得意パターンは変わらない。マイペースの逃げ。馬群から半馬身ばかり前に出て、道中つつかれずあおられず自分のペースで走ることができれば、ゴール前で驚異の粘りを見せてくれるのだ。
 そんな彼の、競走馬人生最大の見せ場は、1997年・阪神大賞典であろう。1頭だけ別次元の競馬をしているマヤノトップガンを完全に黙殺して、私の視線は2着争いをするギガトンとビッグシンボルに釘付けになったものである。そこで2着に粘ってくれたら、トップガンとの連勝馬券でおおもうけしてたところだったが、ぜいたくは言うまい。複勝で、そこそこもうけさせてもらったように記憶している。それに、馬券がどうこうより、とにかく彼の活躍が嬉しかった。重賞3着。競走馬の大半が未勝利のまま人知れずターフを去ることを思えば、それは立派な成績である。
 そして迎えた天皇賞。


 もちろん、最初から勝つことは期待していなかった。
 最後のコーナーまで先頭に粘ってほしい。一瞬でいいから夢を見させてほしい。
 単勝で100倍ちょっとだったから、万が一勝ったら1000円が10万円。
 ムボーな馬券を握りしめる。
 ファンファーレが鳴って、ゲートが開く。
 スタートの瞬間。
 ギガトンは、先頭に立てなかった。


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