ギガトン探究・前編




 競馬週刊誌の「おつかれさま」欄を見て、ギガトンが滋賀県で乗馬になったことを知った。
 滋賀――遠い。しかも、個人所有だという。馬好きの社長さんに引き取られたという話だった。少し不安だった。すごい馬好きで馬をかわいがる人であってほしいけど、そのためにもしかして本業がおろそかになったりして馬を飼うだけの財力を維持できなかったら、結局手放さなければならなくなる。
 ただ、一般のファンが彼に会う機会を持てるようにしたいというコメントは救いだった。ちょっと遠いけど、いつか会いに行こう。今は身分も不安定で会いに行く余裕はないけど、正式に採用されたら絶対会いに行こう。そう思った。

 そのころちょうど1年以上臨時採用が途切れたこともあって、経済的にも気持ちの上でも余裕のない状態が続いた。教員採用試験のほうも、順調に落ち続けていた。そのうえ、プーの期間中に2回ほど車にはねられ、しばらくの間乗馬も中断していた。
 このまま採用されずに年をとって、臨時の仕事も全くこなくなり、教員なんてツブシがきかないから他の就職先もなく、札幌駅の高架下にひっそり住みついたりすることになるのかなぁ、などとばくぜんと考えた。

 そうこうしているうちに、ギガトンの行方はわからなくなっていた。
 相馬野馬追いに出ていたという噂をちらと耳にしたりした。野馬追いに出たあとカンヅメ工場へ向かう馬もけっこういるという出所不明の噂(真偽も未確認)も聞いたことがあったので、かなりぞわっとした。

 2001年10月、ワタクシは教員採用試験の合格通知を手にした。10回目の挑戦でのことだった。
 2002年4月、慣れない土地・慣れない職場でしばらくじたばたした。
 2002年6月、ようやく少し落ち着いたころ、ふと思いたって「ギガトン」をキーワードにインターネットで検索してみた。

休めギガトン!

 これだよこれ、ぜったいあのギガトンのHPに間違いないって。 確信した私は、迷わずそのHPに行ってみた。「休めギガトン!」は、3年前から更新されたようすがなかった。
 そのHPの中には、ギガトン応援部員名簿があった。その当時もしもインターネットをやっていたら、絶対ここに登録していただろうなぁ、と思いつつ名簿のリンクから各ページにとんでみた。
 ほとんどのHPは、すでに閉鎖され、あるいは管理者の興味の変化にしたがって競馬とは無縁のHPに姿を変えていた。そんななか、当時のリンクページとタイトルが変わっていないHPを1つ発見した。

やまうちなうまが好き。

 そこは、山内厩舎の応援HPだった。当然、現役の山内馬が話題の中心になるわけだが、掲示板にこんな書き込みがしてあった。

ギガトンに乗馬を教えてもらいました。

 れいかさんという方の書き込みだった。私は、ギガトンは今どこにいるのか教えてほしい旨の書き込みをした。
 その直後、すばらしいタイミングで山内厩舎所属のダンツフレームが宝塚記念を制した。
 私の書き込みは、「だんちー君宝塚記念制覇おめでとう」ログの嵐に巻き込まれて、過去ログの彼方へ消え去っていった。


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