交通事故レポート・2


当事、友人たちに送った手紙の全文を掲載します。





拝啓 すっかり寒くなってきましたが、お元気ですか。私は、先日、車にはねられて、全治1週間の打撲でシップ人間になってます。6月にはねられたときの打撲が完治した10日後のことでした。教採も不合格でした。おはらいした方がいいでしょうか。
 と、いうわけで、札幌マンドリンクラブのチケットを送ります。都合がついたら来て下さい。以上、用件のみにて。敬具
2000年11月15日


追伸 とかいって事故のこととか思わず書かずにはいられないのでヒマな人は読んで下さい。忙しい人は読まなくていいです。

 11月9日午後10時ごろ、バイトを終えて最寄りの地下鉄駅から自宅に向かう徒歩2分の間に起こったことです。どこかから、救急車のサイレンが聞こえていたので、駅前の交差点が青信号になった後、前後左右をしっかり確認して走って渡りました。歩道にたどり着く寸前、左後方から右折してきた車にどっかーんとはねられました。その瞬間、「またかよー」と思いました。それから、車道上に左肩から落下して、地面で頭を打った瞬間は、「今度は死んだかな」と思いました。でも、二秒後には立ち上がっていました。
 はねた車を運転してた人は、「どうしようどうしよう倒れた人を介抱したことなんてないよー」とパニックを起こしていたら、私がいきなり起き上がったので、とてもびっくりしたそうです。そのときは、私は怒り狂っていて、アドレナリンが大量に発生し、それほど痛いとは感じませんでした。少し先に停車していた車につかつかと歩み寄り、車窓をコンコンコンコンコンと叩くと、中からいかにもまじめそうな青年が、小さくなって出てきて
「すいませんすいませんすいませんすいません(エンドレス)」と、やり始めたので、すっかり怒る気が無くなりました。そのとき、救急車がやってきて、我々の横でちょっとスピードを落としたけど、そのまま走り去って行きました。青年は、はねて何秒もしないうちに救急車が来たので、「もう来たのか」と思ってびっくりしたと言っていました。当然、別件で来てたまたま通りかかっただけの救急車です。
 私は、逃げられては大変だと思ったので、すぐ青年の車に乗りこみ、2ブロック先の交番まで道案内しました。すると、交番にはすでに目撃者からの通報が入っていましたが、通報した人も慌てていたらしく、実際にはねられた場所とはビミョーに違う場所で発生したことになっていて、お巡りさんたちは、混乱していました。
 調書をとっている最中に、「救急車が来たけど乗って行くか?」と聞かれましたが、たいして痛くなかったので遠慮しました。でも、現場検証のときすごく寒くて、救急車に乗れば良かったと後悔しました。
 青年は、お巡りさんから、「これは一方的な事故だわー。」といって、すごく怒られていました。私はお巡りさんからは全然怒られなかったけど、あとで親に報告したときには、「またか!?何やってんだ!」と怒られました。
 そのうち頭も痛くなってきて、青年の車で病院へ行きましたが、同乗してみてそのまじめそうな青年がなぜ事故を起こしたのかとてもよくわかり、救急車に乗らなかったことをものすごく後悔しました。途中、私があまりにも元気そうだったので安心したらしい青年から
「はねられてるときって、スローモーションみたいに感じるって本当ですか?」と、聞かれてしまいました。はたして彼は、自分の置かれた立場とゆーものを理解しているのでしょうか。
 深夜の病院に来る外来の人は、深刻そうな症状の人ばかりで、元気そうな私はそうとう後回しにされたのではないかと推測されます。また、救急車に乗ればよかったと後悔しました。(診察が終わって家に帰りついたのは、午前二時でした。)待っている間、左腕が痛くて演奏に影響が出ないか心配で、五分おきに左手の指がきちんと動くかどうか確認していました。誰かほめて。
 当然、診察してくれた医者は、一番下っぱの人です(断定)。ひととおり診察してもらった後、報告を受けた上役らしき人が彼に「(患者は)みんな、そういうことを言うんだから。」とか「はっきり外見的に変形してるとか腫れてるとかあったら写真(X線)撮ればいいけどねー。」とか言っているのが、当の私にまでまる聞こえで、なまら腹立ったあるよ。その病院の名は、『手*渓*会病院』。(※実際の手紙では、伏字なし)
 そして結局、X線でも、翌日撮った脳ミソの輪切り写真でも、全く異常は見つかりませんでした。頭痛の方は、暖かい待合室にいる間に跡形もなく消え去り、どうやら現場検証で寒かったためのもののようでした。翌日には打撲の痛みのほかに、筋肉痛のような痛みを全身に感じましたが、2日後には消えました。本当に筋肉痛だったようです。とくに、頭を打った方と逆側の首筋の筋肉が痛み、むち打ちかと思ったけど同じように2日後には消えていました。そのおかげで頭部打撲が軽くてすんだのでしょう。えらいぞ筋肉。
 翌日と言えば、相手方の保険屋と電話で話したとき、「そちらの支払い分が…」などと、とんでもないことを言い出したので、そっこー父親に受話器を押しつけたところ、いきなり保険屋の態度が変わり、当然こちらの支払い分などある訳がありませんでした。(はねた本人の方は、最初から「全額払います。当然です。」と言っていました。)その保険屋の名前は、『A**保険会社』。(※実際の手紙では、伏字なし)
 後日、事情聴取のため、西警察署に言ったところ、6月の事故を担当したお巡りさんと再会してしまい、
「あれ、幾狭さん、どうしたの?えっ、またはねられたのかい?」という展開になってしまいました。私は、「事故なんか毎日あるのに、よく覚えてるなー」と、感心しました。そしたら、今回の担当のお巡りさんが気を回して、
「いや、事故事故ほんとに事故。まぎれもなく事故。お巡りさんは信じてるからね。」と、誰も当たり屋だとも何とも言ってないのにきっちり証明してくれました。それを聞いて、少なくとも西区内では二度と事故りたくないと切実に思いました。

                               (終)
二伸 ここまで読んでくれてありがとう。

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