ギガトンとの出会い





 ギガトンという馬をはじめて意識したのは、1996年の皐月賞だった。
 それ以前から、三歳(現在の馬齢表記で言えば、二歳)で10戦した馬としてつとに知られていたらしい。 が、それは後で知った話。関西所属の、重賞を勝ったわけでもない三歳馬――私にとっては未知の馬だった。
 馬柱でその名を目にした最初の印象は、「かっこいい名前」だった。 1ギガトンは10億トンということだが、そんな質量そうそうないから、普通は核爆弾の爆発力を表す単位につかわれる。 ギガトンは、TNT火薬1ギガトン分の爆発力を表す単位なのである。 なんか知らんが、すごいパワーなんである。
 次に、母の父欄に目が止まった。 シンボリルドルフ。私の最愛の馬である。 そうか、この子はルドルフの孫なんだ。 一気に親愛の情が生まれた。
 そして騎手……岡部幸雄。私の最愛の騎手である。 順当にいけば、名手・岡部は、その輝かしい戦跡にふさわしいパートナー――この世代の三歳チャンピオンホース・バブルガムフェロー――にまたがっているはずであった。 バブルが骨折さえしなければ。 そんな訳で、この年の岡部さんの皐月賞の相棒はギガトンだったんである。 ある意味運の強い馬である。
 パドックの映像を見て、ちょっとかたまった。 ギガトンは山内調教師の管理馬である。山内厩舎といえば、所属馬全員がかぶっている、あのメンコである。 ピンク地に緑のYマーク、ときによりオレンジのシャドウロール。 この配色には、当時ものすごく抵抗があった。 しかもウヨウヨいる。 おそろいのピンクメンコが3頭。 ギガトン・イシノサンデー・チアズサイレンス。 なんだか、えらいインパクトであった。
 そのとき、すぐ前のベンチにいたおっさんが、隣席のおっさんに笑いながら話しかけた。
「岡部も終わったよなぁ、ギガトンなんかに乗ってるようじゃ。」

 ――ふぁいやーーーっ――

 その瞬間いっきに燃え上がった、そのおっさんへの敵意とギガトンへの一種の愛情を理解していただけるであろうか?
 だがしかし、彼のそれまでの重賞実績といえば、朝日杯三歳ステークス11着・毎日杯12着。おっさんが「ギガトンなんか」などと言うのも故無きことではない。単勝12番人気であった。
 その年の皐月賞の勝ち馬は、山内調教師を一気にメジャーにしたイシノサンデー。 同厩のギガトンは、9着に終わったのである。
 その後、ダービートライアル青葉賞に出走するもブービーの17着。ダービーには出走すらできなかった。 そうしてその後しばらくは、ギガトンという馬が私の意識にのぼることも、たえて無かったのである。


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