夏時間 2




 向かい合って話す気になれず、父も俺も出窓に向かって腰掛けていた。居間の照明を落としてしまい、星明かりだけが俺達の顔を照らしている。
 先刻、俺が荒れた方の道を選ぶ旨を簡潔に宣言してから、ずっと沈黙が続いている。視線だけ動かして父の横顔を見る。その表情は読めない。だが、どうやって俺を説得するべきか考えていることは間違いない。グリズリーに食われるとわかりきっている方向へ、父が俺を送り出したいわけなどなかった。だが、父もまた俺くらいの歳のころに、同じ選択肢に迷ったことがあったはずだった。本来なら、俺の決心をほめてやりたいところだろう。

*   *   *

 十三歳のとき、一つ下の弟と二人で、家業の正体をつきとめた。
 父の仕事は、表向きはボーダハ農園の牧夫。厩舎勤務。近くの採草地にある小さな村から早朝の牛舎作業を手伝いにやってくる子ども達に、乗馬を教えたりもしている。獣医資格を持っているので給料は比較的良い。いや、通常の従業員と比べると、破格に良い――そんなことに気づかなければ良かったのだ。
 ここで働いている人々のほとんどが知らないことだが、ボーダハ農園は数世紀続く秘密結社――人身売買組織「ファーム」の施設だった。
 「ファーム」の商品は「純血種」と呼ばれる厳格に血統を管理された人間達で、目的によってそれぞれ品種改良されているが、その需要の八割は優秀な兵士である。死を恐れず、上官の命令に忠実――そのように生まれ、そのように育てられてきた子ども達。ボーダハ農園は、その中でも特に優秀で、司令官となるべく選ばれた子ども達を扱っていた。牛や馬や羊たちはカムフラージュで、ここの実態は「採草地の村の子ども達」を育成する牧場だった。
 そして父の家系は代々、カムフラージュの従業員などではなく、まがうことなき「ファーム」の構成員だった。
 それは、にわかに信じがたいことだった。父は勤勉で温厚で尊敬できる人間だった。俺も二人の弟も、なにかやらかしたときは真剣に諭されたけれど、父に殴られたり怒鳴られたりしたことは一度もない。亡くなった祖父も、父同様穏やかな常識人だった。
 両親とも厩舎に泊り込んで難産の母馬につきそっていた嵐の日、弟が探り出したパスワードで父の書斎から組織のネットワークに侵入し、開いてしまった商品カタログの画面……二人で座るには狭苦しい父の椅子の上で、弟とぴったり身を寄せ合っていたにもかかわらず俺は震えていた。弟は呆然としていたようだったが、やがて、このことは絶対ヤツに気づかせたらダメだ、と不明瞭な発音でぼそりと呟いた。子ども部屋を抜け出すときに確認した末弟の寝顔を思い出しながら、俺はうなずいた。そして、この件に上の弟を巻き込んでしまったことを激しく後悔した。
 翌朝、帰宅した父の表情は沈んでいた。母は泣いていた。俺達がカタログページの表紙にたどりついたころには、既に組織から農場へ連絡が入っていたのだ。そして俺達は、このことに気づいてしまった以上、組織の構成員になるか存在を抹消されるかの二者択一しか残されていないのだ、という宣告を父から受けた。
 その日のうちに俺達は農場のヘリで小さな空港に連れて行かれた。さびれた街に住む飛行機愛好家が個人の趣味で経営しているという空港の隣の、崩れそうな外見に反して妙に内装の豪華なホテルで、不安な一夜を過ごした。他の宿泊客は皆、目立たないが高価そうなスーツを着ていた。護衛らしい者を連れている場合もあったが、子連れの者は皆無だった。中の一人がものめずらしげに俺達のところにに近づいてきた。どうやら顔見知りらしく、俺達に視線を向けたまま父に尋ねた。
「こちらの小さな紳士は、君の?」
「息子たち……長男と次男です。」
珍しく正装した父が、困ったように微笑みながら応えた。客は感じ入った風でうなずいた。
「君か奥さんに少し純血種の血が入っているのですか?」
「いいえ、一滴も。」
穏やかな父の声に一抹の不愉快さが混じっていた。俺と弟はそれに気づいたが、客には伝わらなかったはずだ。
「ほう……すごいですね。まだ小さいのに。」
とだけ言い残して、客は去っていった。父は、表情を変えずに
「畏れ入ります。」
と言ってその後姿に深々と頭を下げていた。
 夕食も豪華なものだった。大人と同じ食卓で一人前に同じ正餐をいただくのははじめてのことだったが、食欲が落ちて味が感じられず、大半を残した。弟はどの皿にも全く手をつけなかった。心配になって尋ねると、弟は
「慣れないネクタイのせいだと思う」
と応えて微笑をつくった。
 翌朝、宿泊客は皆、同じ飛行機で同じ場所に到着した。
 競り市だった。


――続く――



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